


林 英典(ヒデさん)・自己紹介
1950年1月23日、玄界灘に面した城下町唐津に生まれる。高校時代フォーク・グループ『ベーコン・ビーンズ』を結成。唐津、福岡でライブ活動。
1968年、法政大学入学のため上京。ニッポン放送『バイタリス・フォークヴィレッジ』に出演。
やがて全共闘全盛期で大学はロックアウトされ、軽音楽部の活動が学生生活の主体となる。人に大学での学部を聞かれれば、
「軽音楽部です」
バイト先の共同の甘味喫茶に自前のレコードを持ち込み、日夜ウエス・モンゴメリー、クリフォード・ブラウンの楽曲を流し『ジャズ喫茶』変身に成功。コーヒー1杯でカンバンまで粘るジャズ・ファンも現れ、経営者の方針と合わずに馘首される。経営者のおばあちゃんは、
「ご近所のおばちゃんや女子学生が気軽に入れる、お汁粉屋さんが経営目標だった」
そんな経験をしながら『下北沢の芸人お忍びバー』で夜の弾き語りの仕事を始めた頃、翻訳のバイトが気に入られた外国映画輸入会社『テレキャス社』で昼間は働くことになる。最初に担当した映画はサンタナの『Soul to Soul』だった。
卒業後はそのまま正社員に。「音楽から映画への転身ですか?」の質問には、
「いや、当時欲しかったフェンダーのテレキャスターに社名が似ていたので・・・」
市販用スーパーエイトの企画制作を任され、『零線』、『日本風俗百年史』等がヒット。その褒章で、ニューヨーク、ロサンジェルスへの映画買付の海外出張を許される。
1973年から、カンヌ国際映画祭、ミラノの映画見本市に毎年参加。パルコ劇場で『モンティ・パイソン・ムービー』のシリーズを劇場公開。大ヒット。単館ロードショーの草分けとなる。
また、東映の映画『あゝ決戦航空隊』、NHKドキュメンタリー・シリーズ『あの時世界は・・・』等に映像アーカイヴィストとして参画。NHKスペシャル『昭和のはじまり』の発掘映像は高い評価を受け、NHK局内のシンポジウムで講師をつとめる。
1979年、テレキャス社を(とても惜しまれながら)円満退社。9月にTAMT設立。ヒッチコック映画『白い恐怖』、『レベッカ』、『汚名』、またバーグマンの未公開作品『間奏曲』を東宝みゆき座と千代田劇場で公開。公開前の宣伝中にイングリッド・バーグマンが急死したので、映画は大ヒット。人に会社立上げの苦労話を問われれば、
「イングリッド・バーグマンのお陰で、なんとか乗り切れました」
電通の新人研修では『洋画の買付け』の講師をつとめる。また米『リングリング・サーカス』のケネス・フェルドから『ディズニー・アイスショー』の日本代理人に指名される。1980年初旬には東映ビデオとのコラボで『ローリング・ストーンズ/ハイドパーク』、『ジャパン/オイル・オン・カンバス』、『マイルス・デイビス』、『クイーン/ウィ・ウイル・ロックユー』の音楽ビデオ発売にいち早く着手、立て続けにヒットを飛ばす。また英クリサリスと『マイケル・シェンカー』、ヴァージンと『ゲーリー・ムーア』を共同制作。 その後ロック・ムービーの劇場公開に着手。『グレイト・ロックンロール・スインドル』、『トミー』、『パンクロック・ムービー』、『メタル・イヤーズ』を公開。同時期にはビデオ権のライセンス契約も充実。『クリーム伝説公演』、『デイープ・パープル/マシンヘッド・ライブ』、『EL&P/展覧会の絵』等がビデオ発売される。 英アップル(スティーブ・ジョブスのアップル・コンピュータではありません)に乗りこんで『ビートルズ武道館コンサート』、『ファーストUSビジット』、『マジカル・ミステリー・ツアー』をニール・アスピナルと契約。『武道館コンサート』は世界初日本だけのビデオ発売となる。ポール・マッカートニーの『ゲット・バック』、続いて『ポール・イズ・ライブ』の契約も締結。アップルとは緊密な関係が続いていて、今年もビートルズ関連映像の発売が予定されている。
各国映画祭へは定期的に参加していて知己も多く、カンヌ国際映画祭で買付けたフランス映画『なまいきシャルロット』は全国公開され空前ヒットとなる。数々の音楽映像ドキュメンタリーの制作に関わることでミュージシャンとの付き合いも深い。ギタリストのスティーブ・ハウ、ロバート・フリップ、ジョン・ウエットン、ジェフ・ダウンズ、音楽プロデューサーのジョン・ウイリアムス、フィリップ・グッドハンド-タイト達とは今でも友情が続いている。
今まで映像で観られなかったミュージシャンたちの映像発掘も多く、『ビル・エヴァンス』、『ウェス・モンゴメリー』など多岐にわたる。
米ギター・インストラクターのステファン・グロスマンとの競作でギターのレッスン・ビデオは40作品以上を自社製作・販売。国内製作のタブ譜付きの丁寧な商品化で『ステファンのHow To Play Blues Guitar』シリーズ、『マール・トラビス』、『チェット・アトキンス』、『ポール・サイモン』などのヒットが出た。
1993年、TAMTが渋谷から浅草に移転してからは、地元商店街の旦那衆との付き合いも始まった。そんな浅草のボランティア団体の依頼を受け、『浅草だより』が毎月発行。
その関連で商連会長から店舗の提供を受け、浅草らしからぬ不思議雑貨店『ゑびす堂』を開店。同時に本格的な絵画やクレイクラフトの製作も始める。『きのこさん』の誕生である。『きのこさんストラップ』は造るハナから売れ、ゑびす堂のヒット商品となり、店舗のある伝法院通りが俗称『きのこ通り』と呼ばれた。
絵画も原画は元よりデッサンや習作まで売れた。因みにかのゴッホは、生前は1枚しか売れていない。(冗談です)
『浅草だより』は『ゑびす堂通信』となり、2010年の店舗展開の終了後は『きのこ通信』と改称され今日に至っている。
また2001年からはディスク・ユニオンより紙ジャケのプログレCDの為の音源発掘が始まり、現在まで多くの商品化が行われ現在も続いている。
現在は自宅をアトリエとし、オリジナル・キャラクター“きのこさん”の絵を描いている。
2014年3月 執筆
グループ展
2018年 J-Collabo Annual Group Exhibition (NY)
2021年 バーチャル展覧会 POP ART at Bougie Art Gallery
2022年 バーチャル展覧会 4th Annual Into the Wild Art Exhibition
Making The Big World Small展 Principles GI Coffee House in NY
2023年 Artexpo NY
”クマッチ”のポスター Great Portland Street駅(ロンドンの地下鉄駅)で展示
動物の惑星 Vol.1 (東京